万聖節に寄せて

ペンブロークシャーの雷

11月1日は万聖節である。思えば拙作のPlayStation向けRPG「クーデルカ」のリリースからもう10年が経つ。サクノスの設立から退社まで、人生の丸二年を費やしたプロジェクトであった。クーデルカの物語は、1898年10月31日の夜、ウェールズの修道院で起こる、一晩だけの出来事を描いたものだ。場所と時間を極限まで絞ったのは、制作に使える人員と時間が限られていたからだ。たとえ予算が潤沢にあっても、何も無いところから大規模RPGの制作を始めるのは厳しい。僕がそのチャレンジを始めたのは、ちょうど3DCGの技術的発展期にあたり、現在のようなノウハウの蓄積も、経験豊富な人材も居ない状況。いずれ手探り暗中模索で、人を探し、集め、育てていれば、半年やそこらはあっという間に経ってしまう。ましてや、大手開発会社の擁する既存のRPGに伍する魅力や話題性を生み出そうとすれば、そのハードルは高く、目標を絞って一点突破を目指さなければ、とても成功は覚束ない。企画は二転三転したが、最初のコンセプトというか、立脚点として、リアルとファンタジーということを置いた。現実と虚構という意味では、相反するように思えるが、そのふたつを適切に混ぜることによって、今までに無い面白さを実現できるのではないか、という予感があったのだ。ファンタジーのためのファンタジーを目指しても、圧倒的な豪華さと物量で勝負を挑まれれば太刀打ちの仕様が無いが、確固たる世界観や物語の基盤を構築し、ユーザーの心に深く根付くものを作れば、息の長いコンテンツとして、愛され親しまれていくのではないか。それを実現する手段として、リアルとファンタジーは、僕が完全に掌握しコントロールできる武器でもある。しかしその配分は難しく、設定する次代が古過ぎてもリアルを生み出せないし、新し過ぎても制約が多くてファンタジーが死んでしまう。最初は1898年という、ガス灯と霧の中に科学と魔法が交錯する危ういバランス、まさに幻想文学の世界から始めて、徐々に現代に近づけることで、ファンタジーの持つ異様な感触を保持したまま、現代生活のリアルさの中にそれを存在させたかった。二作目のストーリーは1900年のパリ万博。なぜこの舞台なのかといえば、大昔のことのように思えて現実味が無いくせに、実は文献資料も映像資料も建築物もふんだんに現存していて、幻想的且つリアルな世界を構築するのに都合が良いからである。そして次の舞台は1973年のシカゴ。ロックとドラッグ。ベトナム戦争末期の帰還兵と敗れ去ったアメリカの正義が否応無くリアルを突きつける中に、忍び寄る奇妙な都市伝説的ファンタジーを描く。さらに次の舞台は、現代の奈良そして京都。イギリスはウェールズの片田舎に端を発した伝説のケルト民族のファンタジーが、千年の歴史を今に伝えている極東の古都に行き着く。況や京都こそは、いにしえよりのファンタジーと現代的なリアルを共存させて稀有な街である。活劇あり心理劇あり。東西の妖怪変化が縦横無尽に活躍する場所としてこれほど魅力的な舞台もあるまい。残念ながら二作目以降を作るチャンスは無かったが、いまだにクーデルカという作品とそのキャラクターを記憶し、愛情を持ってそれを語ってくれる人が居るのは嬉しいことである。11月1日が万世節であるように、11月2日は万霊節。死者が蘇ってくる日だという。クーデルカの霊がこの世に現れて、我々の暮らしぶりを見たらなんというだろう。呆れるだろうか笑うだろうか。いや、案外まだ世界のどこかに生きていて、街の片隅でよく当たる占い師でもしているかもしれない。


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