総合的な演出?
2000年3月 公開
ゲームにおけるムービーの是非を問う議論がある。
確かに昨今の大作ゲームには、
全体のボリュームの中で、映画的要素が大きな比重を
占めるようになってきている傾向があって、
それが従来のゲームのイメージから
外れつつあることに対して、
少なからず抵抗をおぼえるユーザーもいるだろう。
ゲームと映画は違うものなのだ、
という意見を耳にすることもある。
しかし僕はそうは思わない。
エンターテイメントという意味で言えば、
ゲームも映画も、さらには音楽もショーも、
同じ次元の上において語られるべき
単なる要素に過ぎないのである。
逆の言い方をすれば、
観客あるいはユーザーを楽しませる要素であれば、
なんだってOKなのがエンターテイメントなのだ。
実は問題は、ムービーが是か非かという処ではなくて、
ムービー部分がゲーム部分から乖離してしまって、
演出として機能していない処にある。
たとえば、格好いいゲームの合間に
格好いいビデオクリップを挿んだからといって、
さらに格好いい作品になるわけではないし、
お互いの要素が打ち消し合って、
バランスを崩してしまうことも多い。
だが逆に、イマイチなゲームとイマイチな映像でも、
丁寧にシンクロさせることで、全く新しい魅力を
生み出すことが可能なのである。
大事なのは各々の素材を、統一された演出意図の元に、
密接に関連付けることにある。
たとえば、RPGムービーで、銃を持ったキャラクターが
あらわれる。戦いたくはないのだが、仕方ない事情で
戦闘となりバトル画面でそのキャラクターを倒す。
戦闘が終わってフィールドに死体が残る。
それを探るとキャラクターが持っていた銃が手に入る。
その銃は、データとしては単なるアイテムであり、
他の様々なアイテム群となんら変わることはない。
しかし、プレーヤーにとって、それはもう特別な
アイテムなのである。ゲームの中でのいくつもの表現要素、
ムービーやバトルや台詞や音楽を効果的に
組み合わせることで、単にモンスターを倒してランダムで
手に入るものとは明らかに違う、プレーヤー自身の情の
こもった思い出の品を生み出すことができるのだ。
バトルなりに代表されるゲームシステムの部分が、
ユーザーの運動的感覚的快楽の部分を
サポートする要素である一方、
ムービーなりストーリーなりのコンテンツの部分は、
ユーザーの知的感情的快楽をサポートする要素である。
これらは単体としても機能はするが、
相互に関連しあうことで、より強い訴求力を持つ。
理想の演出とは、全ての要素が有機的に関係しあい、
全体でひとつの流れを形作るようなものなのである。

菊田裕樹(Hiroki Kikuta) 1962年愛知県生。関西大学文学部哲学卒。漫画家を経て1991年にコンシューマゲーム開発会社であるスクウェアに入社。ゲーム音楽の作曲家として、「聖剣伝説2」「聖剣伝説3」「双界儀」などの制作に携わる。1997年株式会社サクノスを立ち上げ独立、ホラーRPG「クーデルカ」を制作。以後、フリーに。ゲームプロデューサー、ディレクター、シナリオライター、オンラインゲーム設計など、経歴多数。現在は再びゲーム音楽のフィールドを中心に仕事をする毎日。最近作は2010年末にセガより発売されたPSP向けRPG「シャイニング・ハーツ」。